まぶしい日差しが照りつけるプールサイドの一隅。
オンシーズン限定のテントが張られている陰の中に部員全員が入れるようにと 身を縮めるものの…少し窮屈。
どの部活よりも薄着である[競泳水着]でも……暑いものは暑い。

私たちからみて一番奥にそれはあり、それの命ともいえる延長コードも テントの陰の中にあった。


「――このように、最近のクロールは軸がひとつからふたつになっている。この違いは……」
青空教室よろしく、私たちは今 プールサイドに置かれたテレビと向かいあっている。

ここまで本格的なミーティングをするのは私たちも顧問も初めてなようで、
始める前に顧問の方も[水泳の監督暦はそこそこあるがこうやってミーティングするのは初めてだ]とぶっちゃけていた。






「それにしてもどこから拾ってきたのこのテレビ」
一通りビデオを見終えた後、中古に見えなくもないビデオデッキ一体型の小さいテレビにAがツッコんだ。
当然のことながら これは体育科から借りてきたもので、私も運搬準備の手伝いとしてその現場に立ち会っていた。
……この後顧問が冗談(?)を言ってAがそれに乗るのが典型的な流れであって、今日も同じように話が進んだ。

「この辺だとなぁ、なかなか見つからないんだが……時々外に置いてあるんだよなぁ」
「あー分かる分かる!特に月の終わりの木曜日あたりとか!」
「それが先週だったろ? だからちょうどよく見つかってなぁ……」
「え、ホントに落ちてたんですか!?」
そこで分かりきったボケをかますのがEの仕事。

「分かってはいると思うが……体育科から借りてきたやつだからな」


茶番(なんていうと失礼だけど)を終わらせる重役、とも言い換えられる。

「特にノリで泳いでるとか言うヤツ。これは少ない力で長く泳ぐための泳法だからしっかり覚えておけよ」
そういいながら顧問は私をじっと見据えた。
「わ、分かりましたよ…。そんなにジっと見ないでくださいよぉ」
「いやぁな、おまえみたいのが増えると俺的には困るから」
「うわー……先生さすがにぶっちゃけすぎっす」










ミーティングをおこなっても練習は普段どおり。……と思ったら今日は定例の記録会。

記録のとりかたはリレーから始まって長距離・短距離・中距離のフリー……といった具合に
ホンモノの大会さながらにおこなわれる。
水泳部にはマネージャーがいないので、スタートも計時も記録も顧問がおこなう。


だから200mって意外と早いうちにまわってくるんだよなこれが。

200mのフリーを泳ぐのは私と後輩F。記録会、ということで珍しく部活に来ていた。
「最近どう?コンディションとか」
「……普通、です」
「そっかぁ。私なんかきっと先月から変わってない、むしろ落ちてると思うよ」
「…………そう なんですか」
「エントリーから落とされたらどうしよう」
「…………」
「――ぁあ! ごめんっ!!そんな深刻に考えてくれなくていいからっ」
「……大丈夫、ですか?」
「うんうん、きっと何とかなるよ」
「…………よかった」

彼女はいい意味(?)で、[人と話すことの難しさ]を教えてくれるし、こんなことを心配してくれるなんて…なんていい人だ。





3回の笛の合図のあと、私たち2人は飛び込み台の上に立った。
Fは場慣れしていると思うので あえて頑張ろうねとかとは声かけしなかった。
彼女をみていると 言ってしまった方が逆にプレッシャーになるような気がする……。

だから自分にだけ、とりあえず言い聞かせた。


200は得意な種目だから、きっと現状維持ぐらいはできる――と。



「よーい…」




笛の合図で私たちは勢いよく飛び込んだ。


が……






飛び込んだ瞬間。 …顔から何かがずり落ちるような感覚に目を開くと
水の中がぼやけて見え、目を開いたまま水に顔をつけたような痛みを感じた。


言うまでもなくゴーグルが首の方に落ちていた。
飛び込む際にあごを引きすぎていたかもしれない……。



記録会といえども、これは練習じゃない。
ゴーグルが落ちただけの理由で立ち上がって失格 なんて悲しすぎる。
……といっても 本当は自由形という種目は立ち上がっても失格にはならないけど。

すでに25m地点にまで差し掛かろうとしているFを前に タイムを落とすわけにはいかない。
速い選手と一緒に泳げるからこそ、タイムが縮むんだから……大会以外にこれ以上いい機会はない。




――苦しい。


手をかいているはずなのに、進んでいる気が全然しない。
腕が重いから、水をつかんでいるはず…だけど、もしかしたら空回りしているだけなのかもしれない……。

100mのターンをしてすぐにFとすれ違った、ような……気が………






結局この記録会で出した私の200mの記録は、200mに切り替えて最初の記録会のときとほぼ同じものだった。



「何言われるんだろう……」
記録会を終え、今日の練習が終わって部員が更衣室へと帰っていくとき……顧問から呼び出しをくらった。
今日のためにスイミングを休んで来たCは、
「あの人はそれぐらいのことで怒る人じゃない ……ってことぐらいあんたよく知ってるでしょ?」
と言ってくれた。
「あぁ〜…そーいやぁそだったね」
「むしろ おもてじゃ[おまえの記録なんかには興味ない]って顔してるぐらいなんだから」
「うん、……ありがとう」
「先に着替えてるよ」
というわけで、

生徒用の教室椅子(老朽化により倉庫行きになった代物)に足を組んで座っている顧問のところまで出向いた。



「えっと……ご用件は?」
「……」
「や、やっぱ……記録 のことでしょうか?」
「……」
「200に切り替えてもう何ヶ月も練習してるのに こんなんになっちゃって…」
「……」
顧問は何も言わずに過去の記録会の記録をじっくりと見回している。
なのに勝手に私がひとりでしゃべっていた。

「こんなド素人にスランプとかがあるのかどうかは分かりませんけど……そんなの、言い訳にしかなりません よね」
「………」
「同じ種目の子に追いつくことなんて不可能なのは分かってます。でも…」


「悔しいか?」



そこでようやく顧問が目を合わせてくれた。

「は い…っ」
ゴーグルなしで泳いだおかげで目がパチパチ?しているような感じで痛いのに、今度は鼻の奥から順番に目が痛くなってきた。



「知ってるか? おまえのはいつも[ただ泳いでいる]だけなんだぞ」
「……」
体はだいぶ乾いてきたはずなのに、頷いた拍子に水滴が地面に落ちた。
「俺がここをこうしろああしろって言っても口では…というか頭では分かってるんだろうな」
だけど、それが泳ぎに反映されたことは皆無に等しい――。

「だから、これまでおまえが泳いできていいタイムが出たのはほぼ[まぐれ]だった……っていうのは分かるか?」
「はい…」
「ただ好きで泳いでるだけであっても、[競泳]の世界に入った以上 そう甘いことは言ってられないんだ」

顧問は泳法をアドバイスするときも、授業をするときも、生徒と話すときも……いつも同じような口調で話している。
良く言えば平等、悪く言えば…棒読み。


だけど、この人の言葉に気持ちがこもっていないときなんて絶対にない ってぐらい、一生懸命に話してくれる。

「次の大会までまだまだ時間はある」
「……」
「今の自己ベストを0.1秒…いや、おまえなら2〜3秒ぐらい更新できるか……それぐらいしてやる!って気になれたか?」
「なりました」
もうこんな思いはしたくない。
次の記録会までには……絶対……絶対っ………

「それなら、明日からの練習……もっと頑張ることだな」



「――はいっ!」


流れた涙はまだ乾ききっていない。

今は存分にヘコんで……明日から頑張ればいいや。