「――すごくてさー… だからね〜、さっすがあたしのシパちゃん!!…って」
「シパちゃん?」
「うん、シパちゃん。 ……知らないの〜!? 400 800フリーのオリンピック選手なんだよ〜!!」
部活の休憩時間中、隣のコースでGとAが話していた。
オリンピックイヤーな今年、特に関心があるようだ。
…といってもGは元々競泳の観戦が好きだから 根っからのファンだと思う。
「でもねー…こないだの選考会で400は落ちちゃったんだよね」
「へー…そうなんだぁ」
「そうなんだよぉー。せっかく決勝まで残って優勝もしたのに」
「え、優勝しても出れないの!?選考会だよね?」
中高生の競泳の大会は標準記録とかがあっても決勝で何位以内に入れば次に進める
…っていうのがセオリーで、例外なんてないものだと思ってた。
「うん、だってオリンピックだもん。相手は世界だよー…やっぱ厳しいんだよねぇ」
「そっかぁ」
「…大丈夫!800は標準記録より3秒も速くゴールできたから800は出るよ!!」
「あたしも応援するっ」
「うんうん!あとレーたんとスケさんも応援したげて!!」
「まとめて応援するよー! 頑張れニッポン!!」
ところで最後にでてきた2人は誰だ…? 多分一方は平泳ぎの人だと思うけど。
「ぶちょーも応援してよね!」
「え、…… ――えっと、なにを?」
「んもぉ〜…ぶちょーってばこういう話はちゃーんと聞いてるくせにぃ」
「わ、分かってた?」
「分かるよぉ。いつものことじゃん?」
「ははは…」
「そーゆーわけで、頑張れニッポンだからね!」
「う、うん」
「今年のオリンピックは時差あんまりないけど 放送は大体深夜だからね!」
「わ、忘れてなければ」
「だーめ だってば! 録画して何回も見て泳法を覚える勢いじゃなきゃ!!」
「う、うん……?」
Gの気合いの元はここからきてた。
…今更になってやっと分かってきた気がした。
[みんなと一緒に水泳やりたい]って言ってスイミングをやめてまでこっちで練習をしてる彼女は、
少なくとも私たちの代の中では 誰よりも水泳に一生懸命向き合ってて、いつも本気で泳いでる。
勝手なことを言うと、ようするにGは私と対極な位置にある…んだと思う。
そしてその休憩の後、……なんだかGの様子がおかしい。
「G!おまえ珍しく遅いじゃねーかよ。どうした?」
顧問も察知していた。
…本来私は練習に一生懸命になってそんなことばかり見ている場合ではない立場にあるけど、
やっぱり気になることは気になる。
「だーいじょーっぶーっすよ〜!」
Gは笑顔で顧問にピースサインを向けながら言った。
言ったものの、……なんか違う気がする。
同じメニューをこなしていて次のスタートタイムを待つAに話を振ってみると、
「うん…あたしもそう思ってた」
期待通り…と言っちゃ悪いけど、そんな返事が返ってきた。
「なんともなければいいけど」
「そー…だよねぇ」
私たちは 一足早く出ていったGの背中を見た。
腕が重そうで、いつもよりバタ足のペースが遅い。
「えっと、下からだっけ?」
「うん、下から」
ペースクロックの長針はもうすぐ6の地点につく。そしたら私たちはスタートする。
「せーの でいこっか?」
急なAの発想に少し困った…。
「え、それって競争?」
「へっへっへ!たまにはいいじゃないか。 …行くよ? せーのーでっ」
しょうがない、負けを覚悟でいこうか。
と思ったら、顔が完全に沈みきる前に 視界からGのかいているはずの…けっているはずの水しぶきが消えた。
「待った!」
裏返ったような声が出ていた。
その声が届いたようで、Aはボコッと泡をひとつ吹いて立ち上がった。
「え、なになに!?」
私の目が間違っていなければ あれは……
と思うと、急に背中が凍りつくような錯覚を感じた。
「今…Gが……!!」
指をさした方角を、Aはゴーグルをはずして目を凝らした。
「んんー? …………え?」
4コースのしかもど真ん中でGがおぼれている。
「4コース!おぼれてるぞー!!」
顧問もそう叫び、倉庫へと走っていった。
普段滅多にお目にかかることのない 救助用浮き輪が出てくるか…
それ以前に、そもそも学校のプールにそんなものがあったっけ…?
「ぶちょー!行かなきゃ!!」
「行こう!」
ゴーグルが目にフィットしていることを確認して つき崩すような勢いでプールの壁面を蹴った。
冬の陸上トレーニングの際に使う毛布を倉庫をプールサイドに敷き、そこに彼女を寝かせた。
プールからひきずり出したときに咳き込んだし、循環のサインもある。……あとは目を覚ますのを待つだけ。
「おまえらは練習に戻っとけ。おまえは……こいつを見てやってくれ」
「はい」
おぼれて沈みそうなGのもとに一番に到着したのが私だった。
そして落ち着かせようとGの顔を上げたら今度は私が沈められてしまい……今少し鼻が痛い。
二重におぼれなかっただけ幸いだったと思う。でも……
「――……っ」
「あ…」
Gが身じろぎした。
そして……
「……っごめん、なさい…」
目を閉じたままGはつぶやいた。つぶやいた、といっても声は思った以上にはっきりしている。
「そんなこと全然……。それより、Gは大丈夫?」
そう聞くと彼女は かすかに首を横に振った。
「え?」
「足が……動かない…」
「えっと……ちょっと、いい?」
Gが頷いたことを確認して、私はとりあえず彼女のつま先とかかとを持って足首をまわそうとした……ら、
「痛い痛い痛い!!!」
「あっ わっ…!! ごめん!」
持ち上げた…いや、触った段階で叫んでいた。
その足をゆっくりおろしたところで、お互いの会話が終わってしまった。
「様子はどうだ?」
おのおのに指示を出し終えた顧問がこちらに戻ってきた。
「足が動かせないそうです。…触っただけで痛がったから、よっぽど――」
そう言いながらGの方を向くと、歯を食いしばっている。
「「……」」
顔が濡れているからあまり目立たないけど、意識が回復してもずっと目をつむっている理由が分かった気がする。
「もし もう…泳げなくなったら、どうしよう」
さっきの会話よりもか細い声でGはつぶやいた。
「それ程度のことならしばらく休めばまた復帰できる。とりあえず今は休め。練習のしすぎだ」
その程度のことでいちいち……と言わんばかりの顧問の言葉。
本当に大丈夫…なのかな?
「それに引き換えこいつときたら……痛いの一言も知らんような練習っぷりでよぉ、あきれるなぁ」
「せ、先生それはひどい…」
このやりとりにGは くすっと吹きつつ、更に言葉を続けた。
「でも、それだけ時間が開いたら……おいて かれそうで…」
その一言に私と顧問は顔を見合わせた。
いやいやあなたおいてかれてないから。むしろ私たちがおいてかれてる方だから。
「「大丈夫だ」よ」
考えてることは同じだったみたい。
「あり がとう…」
そう彼女は言ったものの、なんだかすっきりしていない様子。
顧問がGの保護者に連絡をしにいったとき…
「あたし、あーゆーオリンピック選手の努力してる姿にすっごいあこがれててさぁ」
私から顔ごと背けて彼女は話しだした。相変わらず目はつむったまま…だけど、体はどんどん乾いてきている。
「うん」
「なんてーか、あたしも同じように頑張りたかったんだぁ」
「……」
「だから時間がとれるようにこっちを優先してぇ、部活が終わったら今度は筋トレーみたいなことやっててさぁ」
「うん」
「でも… っでも…… なんかさー、 ……ダメ、だよね。あたし」
「……なんで?」
「だって、こんなんになるまで……あたし全然気付かなかったんだよっ!? 疲れてて身体の方は限界だーってことに!」
「……」
でも私にとってのあなたはまぶしいぐらいで、…そのまぶしさはいつまでも続いててほしい、って思ってるんだ。
「誰だって、失敗はするよ」
どれだけ伝えられるかは分からないけど、まず話してみよう。
「でも…っ」
「シパちゃんだって400のフリー、オリンピックにいけなかった っていう失敗してる」
「……」
「自分は自分であって、誰かになることはできない。GはGであってほしいなー…」
「……っ」
「休養をとることも練習のうち。こないだ体育で先生言ってた……休養とらないと筋肉できないよ って」
「…言ってた、ね」
「だから、今は 回復までうーんと休んでてよ。それで元気になったら また泳ぎに来てね」
これじゃ慰めにもなにもなっちゃいないな…
と思ったら、
「ぶちょーぉ……ほんと、ありがとぉぉぅ……っ」
腕を目の上に当てて、彼女はこっちを向いてくれた。
口元は いつものあの笑顔。