まだ日が高い放課後。
私はてっきり熱中症にでもかかって人の言ってる言葉をうまく理解していないんじゃないかと自分を疑った。
更衣室に入ってすぐ 突然の顧問からの呼び出し……かと思えば。
「――分かってます。分かってますけど言わせてください。 ……冗談 っすよね?」
「冗談じゃねーし。分かってんなら言うな」
「すんません……」
まさか自分がリレーに出場するとは思ってなくて、ありえないぐらい動揺している。
「そんなことで緊張してんな。あくまで二軍だ」
「……あの、またどうして自分なんかが…?」
「おまえそれでも部長か?」
「へ?」
あきれるようにつぶやいた顧問の言葉にムッとしながら、少し考えてみた。
3年生の先輩方が引退して、新人戦メンバーは1・2年女子合わせて…十数人。
この学校は どういうわけかフリー専門が少なくて、
タメの100フリーの常連2人と…私とAと……1年にもスイミング組フリー専門が1人いて、……いてぇ、…?
「先生、二軍つくっても…足りないんじゃ……?」
一瞬間があいた。
私が顧問にたてつく(?)勇気があったとしたら、
[おまえそれでも顧問か?]と顧問と同じ口調で返してやりたいなとも思った。
(けどあいにく私にはそんな勇気もないし この人はそんなことで動じるわけもない。)
「スイミング組から抜き取るから問題はない。」
「そう、ですか」
ほらやっぱり……。
「……おまえ本当は出たくないんだろ?そうだろ?無理しなくても」
「ちっ…違いますって! 出ます出ます!頑張りますから!!」
「分かったら口答えするな。…それよりおまえはスタートがいつも出遅れるからそれを重点的に練習するぞ」
「…はい」
確かに今度の大会…というか記録会は 隣町の学校と一騎打ちだし、
新人戦の最初の地区大会でも戦う学校だから、前哨戦みたいな感じ……だけど、
リレーで専門外の人まで出してわざわざ二軍つくるって……一番燃えてるのは顧問か。
「ぶちょー!聞いた聞いたぁ!?」
わずかな休憩時間が始まったとき、真っ先に私に声をかけてきたのはA。
「……なにを?」
聞かなくても分かる。リレーの話…だと思う。
でもAのことだからもしかしたら別の話かも。
「なにをって……リレーだよ、リレー!」
……なんて詮索してたけど結局リレーの話だった。
「ああ、うん」
「いやぁ、まさかあたしたち選ばれるとは思わなかった!」
「私もそう思ってた」
「でさぁ……[なんであたしが?]ってセンセーに振ったらなんて言われたと思う?」
「「おまえ本当は出たくないんだろ?そうだろ?」 …って、ぶちょーもいわれたんだ〜!」
Aも言われたのか。
まさか同じ言葉をそのままそっくり言うとは思わず、途中からハモってみたら、
それはそれは楽しそうにAは大笑い。
見てるだけで一緒に笑いたくなってくるから、ホントこの子すごい。
「あとね!Dも二軍入ったって!!」
「Dも?」
リレーの話になると結構くいついてくるはずのDが 見渡す限り……では 見当たらない。
「すごいよね〜、フリーも平も両方いけるなんて……えっ!?」
「うん……ん?」
急にAが視界から消えた。
立ってお風呂にでも浸かってるようなこの休憩時間。いなくなるとすると…
「ぶちょー、よろしく!」
Aの代わりに飛び出してきたのはD。
「あ、うん…………えっと、Aは大丈夫?」
「だーいじょーぶ、だーいじょーぶ」
「……そう?」
プールの底では 泣きそうな顔でAが[ギブッ!ギブッ…!!]と言わんばかりにもだえている。
沈められてるだけならまだしも、立った状態で乗っかられてるんだから…水圧も相まって相当な負荷だろうなぁ。
「……っこら!D!!死ぬとこだったよっ」
どざえもんのごとくゆっくりと浮かび上がってきたかと思うと 1回大きく深呼吸していつものAに戻っていた。
「大丈夫。それだけ元気なら当分死なない」
「「……」」
Dの黒い微笑みをそばに、
私たちは 見えない刃で軽やかにスパッと斬られたような錯覚を感じた。
後半の練習も終わって、とりあえずリレーメンバーは残された。
[お疲れ様でした〜]と言いながら更衣室に引っ込んでいく後輩たちをうらやましく思いつつ、
プールに向き直ると 水面は少しオレンジを帯び始めていた。
一軍は、メンバーが足りないながらも もくもくと練習を始めている。
1回1回の飛び込みがいちいちキレイすぎて、逆に怖い。
私たちとは根本的に何かが違うのかなー…と思っていたら、タオルを取りに行っていたAが戻ってきて メンバーが揃った。
二軍リレメンは、私と、Aと、Dと、……後輩E。
この水泳部の売りは 先輩後輩の仲がいい ということ。
練習の段階でピリピリしてたってしょうがない。水泳は個人種目だからこそ普段の練習は仲間を意識したい。
――と、数年前の部長がそういう方針にしてから、そういう部活になっている…らしい。
別に私はそこまでこだわらないけど、先輩にはすごく優しくしてもらったし…それを考えると とも思う。
それに、やっぱり後輩って可愛いと思う。たとえ1年かそれ以下しか年が違わなくても。
だから、唯一Eがひとりだけ1年であっても…私たちにとってはそんなこと関係ない。
「順番はどうする?」
バインダーを持ちながら 顧問が仁王立ちしている。
「どう…って、私たちとしては先生のアドバイスがほしいんですが」
「そうか。じゃあこれだけは俺が決める」
何を決めるんだろう。
急に空気が張り詰めた…ように感じたが、
「とりあえずお前は 1番以外になれ」
「えっ……あ、 ですよね」
ひとりで冷めた笑いをしてると、思い出したように他のメンバーもつられて笑い出した。
確かに、
私なんかを1番に出したら、どれだけチームに響くことか。(スタートが)
「そうすると…やっぱDでしょうか?」
「えー、いいのぉ?」
それはもう嫌々そうにDが返答してくれた。
「まぁ、なんだかんだでDは失敗していないが……練習している間が怖いんだよな」
顧問が言うとおり、彼女は飛び込み練習における[フライング常習犯]で 練習ストッパーでもある。
やりすぎなぐらいフライングをするわりには本番で失敗したことは一度もない。
基本的に公式大会でフライングをすると一発で失格だから……そこは気にしてくれていると思う。
「…じゃあ無難にAかEで」
「無難に っていってもその2人しか残ってないけどね」
それを言っちゃおしまいだよDさん…。
「Aは本番に強くて、Eは飛び込みそのものが確実だからな。どっちかにしておいたほうがいいと思うぞ」
「うーん……」
黙り込んでいる私たちの間を 風が吹き抜けた。
辺りはすっかり日が沈んでいて、吹き抜けたそれも 日中のような蒸し暑い風から少し冷たい風になっていた。
「――あとは明日にするか?」
その風を合図にしたのか、まず顧問が口を開いた。
「え、でも……」
「でも って、おまえら部員待たせてんだぞ?」
「「「「あ…」」」」
引継ぎ練習をしていた1軍もいつの間にか更衣室にひっこんでいたようで、
プールサイドには本当に 私たちだけ しかいなかった。
「早いうちに決めてくれよ。…まぁもし助言でもほしかったら言ってくれ」
「はい」
そういうわけで私たちはプールサイドを後にした。
「で、どうする?」
4人だけの更衣室の個室から 私は声をかけた。
他のメンバーもみんな個室で着替えている。
「わ、わたし…スタートやります」
意外にも返事は早く返ってきた。しかもEから。
「ホントに!? いいの!?」
「はい…」
今更嫌ですとは言わせません的なオーラを全開にしてAが叫んだ。
ごめんね、A。…そんなに嫌だったことに私は気付けなかったよ……。
「じゃあ1番は決定というわけで……次はアンカー?」
「なんでそこでいきなりアンカー…?」
「終わりよければ全てよし……みたいな感じでトップの次に緊張するポジションだから、かな」
「「「……」」」
まるで、じゃあおまえがやれよ と言われているような錯覚に陥るような沈黙。
「え、えと・・・AとDは、どう?」
カーテンを開く音が聞こえた。誰かが着替えを済ませたようだ。
「「えー」」
「……わ、分かった分かった。私がやる。私がやるから…」
「「ホントにー!?」」
申し合わせたようにぴったりのタイミングでAとDが言った。
そんなに嫌だったかアンカー。
「じゃあ2番手と3番手は決めといてね」
「「はーい」」
なんだかんだで…ほぼノリ?でアンカーになったが、
そんな嫌がるほど大したポジションじゃないよな。そう思うのは私だけ?
――とか甘いことを考えていた大会当日。
4チームあるうちの最下位という劣勢の状態で 私は2軍チームのアンカーを迎えることになってしまった……。